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14世紀にアユタヤは東南アジア最大の王朝として君臨するが16世紀に入り西の強大国ビルマ(現ミャンマー)の攻撃を執拗に受けるようになります。1767年、ビルマ軍の総攻撃により町は壊滅的に破壊され、当時、黄金によって作られていた石仏の頭部がビルマ軍により略奪されました。このためワットマハタートの仏像は全て頭部が無い状態となっています。また破壊に加え放火もあったため、多くの寺院が焼け焦げた状態で残されています。
ビルマ軍が退却後、新たに王となったタークシン王は、町が激しく破壊され復興が難しいことを知りアユタヤの復興を断念、トンブリーへの遷都を実施しアユタヤ王朝時代が終了します。日本では徳川幕府が天下を統一した後、働く場所を失った多くの下級武士が働く場所を求めアユタヤに渡来、日本人町を興し移り住みましtが、1630年、日本人勢力の台頭を恐れた当時のアユタヤ君主は町を焼き払い町民を虐殺、このため現存する町並みは無く、日本人町があったと言われる場所に記念館が設立されているのみとなっています。
【主な見所】
ワットヤイ チャイ モンコン
アユタヤ王朝初代王「ウートン王」が14世紀に建立した寺院で、20代王「ナレスワン」が象による騎馬戦でビルマの王子との一騎打ちに勝利し、これを記念し高さ72メートルもの巨大なチェディ(仏塔)を建立しました。このチェディには階段で上ることが出来ます。
また境内には大きさ約10メートル弱の寝釈迦が横たわっていて、記念撮影を撮る人が多く見られます。
ワット マハ タート
14世紀後半に建設され、当時は塔の頂上及び仏像の頭部が黄金で輝いていたと言われています。18世紀後半、ビルマ軍の猛攻に遭い、これらの黄金は全て略奪され、後には頭部の無い石仏のみが残されました。又略奪を免れた石でできた
石仏の頭部が境内に打ち捨てられ、永い年月を経るうちに菩提樹の根に取り込まれてしまい、現在でもその無残な姿を残しています。
ワット プラシー サンペット
アユタヤ王朝3代の王の遺骨が納められた3つの美しい仏塔が建つ寺院。夕暮れ以降にはこの3つの仏塔がライトアップされ、幻想的な光景を見ることが出来ます。
ワット ロカヤスタ
アユタヤ王朝中期に建立された寺院で18世紀後半、ビルマ軍により破壊、焼き討ちに遭ったため、全ての建築物が朽ち果てた状態になっています。寺院の入り口には全長57メートル、高さ8メートルの巨大な寝釈迦が北を向いて横たわっています。
日本人街跡
14世紀から18世紀に渡り日本からアユタヤへ移り住んでいた日本人が暮らしていた「日本人街跡」から発掘された遺品を展示している展示会場。刀や扇など当時の数多くの品物を見ることが出来ます。
エレファント パレス
数十頭の象を飼育、訓練し芸を見せたり象乗りをすることが出来る場所です。大半のアユタヤツアーのコースに組み込まれていますので、遺跡観光と同時に象乗りをお楽しみ頂けます。